2月9日、底冷えする早朝6時、まだ夜が明けるまで約1時間もあるというのに、静まり返ったJR大阪駅前の一角にジャパンブルーで着飾ったサッカーフリーク達が集まり、今か今かと埼玉スタジアム行きのチャーターバスの出発を待っていた。ついにこの日がやって来たのだ。いよいよ本日は「2006ワールド
カップ・ドイツ大会・アジア最終予選」の開戦日である。過去に私は幾度と無く、日本代表の試合を追いかけて来たが、これ程までに緊張した事は以前にも無かった。思い起こせば、今からさかのぼること8年。97年のアジア最終予選で日
本は念願のワールドカップ初出場を目指し、死闘を繰り広げていた。その際も駆けつけたソウルやジョホールバールでさえ、これ程までに緊張したことは無く、むしろサッカーを楽しみながら観戦していた。しかし今回の最終予選は97年と置か
れた環境が違っていた。
日本代表は本当にドイツに行けるのか!?この1年間はそんな不安ばかりが頭をよぎり、自問した事が多々あった。
事実、すんなり勝ち抜けると思っていた1次予選では、明らかに格下と見られていたオマーンやシンガポールに何とか勝利したものの、思わぬ大苦戦を強いられた。今夜のホームで行われる対北朝鮮戦には絶対に勝って、幸先の良いスタートを切らねば・・・。北朝鮮は世界ランクで日本より下位だが、何せ実力の程は全くの未知数。世界の舞台に登場するのも約10年ぶりとの事である。
不安を抱きながらもバスの車中では、次第にサッカーの話で盛り上がってきた。名神高速を抜け東名高速に入り、最初に休憩を取った三ケ日サービスエリアでは、それらしきサポーターを乗せたバスが多数集結。
見知らぬ者同士が思わず、「ニッポン、ニッポン!」と連呼している。こういう光景を見ると本当に勇気づけられる。
昔、少なかった日本代表のサポーターは、プロのJリーグが発足された1993年
以降、急激に増えてきた。
それまで日本においてスポーツといえばプロ野球が代名詞であり、人気面では他のスポーツを圧倒していた。
面白い事にプロ野球では「ファン」と言うのにサッカーにおいては「サポーター」と呼ぶ。まさに支持者である。
とりわけ日本代表戦ともなれば、愛国心をくすぐるのか?スタジアムは熱狂的なサ
ポーターで超満員となる。
そのサポーターの数は、日本が98年のW杯フランス大会に初出場を果たしたのを境
に増え続け、今ではW杯アジア予選、本大会、アジアカップ、その他の親善試合でもなかなかチケットを確保する事が難しくなった。
私はチケットをセットにした南海さんのツアーをよく利用させてもらう。便利だし何より確実に観戦できるから・・・。
大阪を出発する事、約8時間半。車中の窓越しに巨大な埼玉スタジアムが見えてきた。周辺には機動隊と警察官が多数出動し、交通整理をしている。まだ試合開始4時間前というのに、気の早いサポーターが周辺の道路を埋め尽くしていた。私の胸の鼓動もますます高鳴るのがわかった。
「ニッポン!ニッポン!」「頑張れ〜、ニッポン!」「行くぞ、ドイツへ!」誰かが叫んだ。試合開始30分前の7時頃、観客席はジャパンブルーで染まり満員になった。冷風が熱気へと変わるのが感じられた。
我々、大阪から参加したツアーサポーターが陣取る席は、カテゴリー3(メインスタンドの2階)。埼玉スタジアムは、サッカー専用スタジアムの為、アスレチックが無く観客席とピッチが近く、2階席からでも非常に見やすく設計されている。
ホームゴール裏には熱狂的なサポーターで知られる「ウルトラス・ニッポン」が陣取り、「ニッポン!ニッポン!」コール。
一方、アウェーゴール裏では北朝鮮サポーターが「イ・ギョラ(勝てよ)」コール。スタンドの雰囲気は最高潮に達した。
いよいよ試合開始前のファンファーレに導かれ、両国選手が入場し両国歌の演奏が流れた。しばし静寂が続いた。
そして両国選手が互いに握手を済ませ、ピッチへと散らばって行く。「鈴木、小笠
原、宮本・・・。とにかく勝ってくれ!」
「ドイツへ連れて行ってくれ!」「ジーコ頼むぞ!」 いつしか心の中で祈るように叫んでいた。
次の瞬間どこからと無く一斉にカメラのフラッシュがたかれ、主審のホイッスルで
キックオフとなり前半が始まった。
試合開始直後の4分ファールを受け、早速日本がやや中央寄りのペナルティーエリア外でフリーキックのチャンスを得た。
日本が得意とするフリーキックで、しかも好位置からだ。本来なら中村がキッカーだがサブの為、今はピッチにはいない。
この試合で海外から呼び寄せられたのは、残念ながら中村(レッジーナ)と高原(ハンブルガー)の二人のみ。
ヨーロッパのこの時期は各国リーグが終盤を向かえており、中田ヒデ(フィオレン
チーナ)、小野(フェイエノールト)などの有力選手は今回招集が見送られ、国内組主体のメンバーで構成された。どうやらキッカーは小笠原のようだ。
スタンドの観衆は息を凝らし、小笠原の右足に視線を送った。数秒後、放ったボールは弧を描き見事ネットを揺らした。
「ゴォ〜ル、ゴォ〜ル、ゴォ〜〜〜〜〜ル」「やったぁ〜」周囲では見知らぬ者同士が熱い抱擁をし、スタンドはジャパンブルーで波打ちし、大歓声と地響きが聞こえてきた。日の丸とJFA旗もスタンドを大きくうち振られる。
予期せぬ早い時間帯に日本が先取点!小笠原本人は平然としていたが、日本ベンチ前ではジーコがガッツポーズ。
ピッチ上では小笠原の周辺に続々と選手達が集まり、抱き合ったりハイタッチしたりして先取点の喜びを噛み締めていた。
日頃海外組にレギュラーを奪われがちだった小笠原の見事なシュートで、さらなる追加点の期待が膨らんで行った。
しかし意外にも北朝鮮は中盤でのプレスが思っていた以上に厳しく、日本のボールはなかなか前線に繋がらず、
追加点が奪えないまま、前半45分が終了した。前半をリードした為か?サポーターの表情もやや緩んでいた。
神様ジーコはハーフタイムにどのような指示を与えるのか?前半4分に好スタートを切った日本は、その後は無理をせず、
2点目を取りに行くことも無く、守備を固めながら隙があればカウンターで押し上げるという無難な戦術を取った。
後半がスタートした。このまま終了すれば勝ち点3を取り、順調な滑り出しとな
る。しかしここは、日本のホームでもあり、相手が格下の北朝鮮であることを考えれば当然、さらなる追加点が欲しいところだ。
このアジア最終予選・B組には強豪イランをはじめ、北朝鮮、バーレーンがいる。各
チームがホーム&アウェーの6試合を戦い、上位2チームが無条件でドイツ行きの切符を得る。最悪、勝ち点で並んだ場合は当該国の対戦成績の次に得失点差が決め手となる。そういう意味においても日本としては、最低でもあと1点の追加点はほしい。
後半は前半よりもゆっくりと時間が経過し、北朝鮮も次第にパスを繋ぎ日本サイドに攻め込むケースが目立ち始めた。
そうした中、後半の16分(61分)うまくスペースを使われ、左サイドから角度の無いところを途中出場のナム・ソンチョルがシュートした。一瞬、スタジアム全体を大悲鳴が響き渡りその後、失望のあまり急に静まり返った。何という事だ!!!
それは、一瞬の隙をつかれた見事な「ゴォ〜ル」だった。名手のキーパー川口も逆をつかれ、どうすることもできなかった。
さあ勝負は、まだまだこれからだ!「我等日本代表には、引き分けや負けは絶対に許されないのだ!」
しかも大サポーターの後押しを受けたホームで!ますます声を張り上げ、興奮した自分がそこにいた。
自分の声援が選手達に届かないのか!?そうだとしたら、声が出なくなるまで叫ぶ
ぞ!「ニッポン、オーレ!」
同点にされてからは、時間の経過が早く感じられた。同点にされた3分後(64
分)、ゲームが動き出した。
ジーコはたまらず前線で孤立していた鈴木に代えて高原を投入。その2分後(66
分)には、田中に代え中村を投入し、一気に勝負に出た。二人の海外組は、国内組との合流が間際だったことや疲れを考慮し、恐らくジーコは後半から投入する戦術にしていたのだろう。中村が入った事で明らかに試合の流れが日本のペースとなり、スピーディーな展開となった。
また中盤から前線でボールをキープする時間も次第に長くなってきた。しかし残された時間は刻々と少なくなり、チャンスが生まれるものの「シュート」というフィニッシュにはなかなか持ち込めずサポーターからは、ざわめきが聞こえ始めた。
残り時間があと11分となった79分、最後の切り札として玉田に代えて大黒を投入。「えっ〜、うそぉ〜」という声が、どこからとなく聞こえてきた。関東のサポーターには大黒はあまりにも馴染みが無いプレイヤーであった。しかし我々、大阪人にとって大黒は知れ渡った存在だ。ガンバ大阪でも得点を重ね、昨年のJリー
グでは外国籍で得点王となった浦和のエメルソンを除けば、日本人としての得点王(20得点)である。(ちなみに今年も12節までは得点王である)
実は私も最後の切り札として、ジーコが大黒を起用することは無いと考えていた。むしろサブの中では、1次予選のアウェーシンガポール戦で救世主となった藤田か?三浦もしくは中田浩二の投入を予想していた。
しかしピッチに現れたのは、疑いも無く大黒だった。恐らくジーコは冒険ではある
が、常にゴールを積極的に狙う大黒に絶大なる期待を寄せていたのだと感じた。その後、神様・ジーコの起用がズバリ的中したのであった。
アウェーの北朝鮮は、明らかに引き分け狙いの勝ち点1でいい為、次第に引き気味になり自陣でボールを回し出した。
「もう残り時間が無いぞ!駄目だ!」「大黒、行けェ〜〜」「ほら、シュートだ!」「何してんだ!」罵声まで飛び始めた。
残り時間も数分となり、日本は相手陣地で体制を立て直し怒涛の攻撃を繰り返した。
88分には小笠原がシュートを放つもGKが横っ飛びで好セーブ。89分には高原のポストプレーから、加地、中村に繋ぐも小笠原が決定機を外した。
ふと電光掲示板に目をやった。すると試合時間の90分を指した後、「パッ」と電気が消えた。
ピッチの横でFIFAのユニフォームを着たジャッジマンが、ロスタイム表示を3分と告げていた。
周囲のサポーターは、大半がため息をつき半ば諦めかけていた。私は落胆するサポーターに羞恥心を掻き捨て叫んだ。
「おーい、みんな諦めるな!」「まだ3分もあるぞ!」「しっかり応援してやってくれ〜」「最後まで声を出してくれぇ〜」
嬉しい事に周囲のサポーターは、呼びかけに対して最後の力を振り絞り、大声で日本代表に声援を送り続けてくれた。
3分のロスタイムも2分が過ぎていた。このまま引き分けて大阪には帰れない。今夜は試合終了後に弾丸バスに乗り、明朝にはその足で会社に出勤する。「職場で何と言われることか!?」一瞬、職場の同僚の顔が浮かんだ。
しかし埼玉スタジアムに潜むと言われる神様とジーコは、詰め掛けたサポーターを決して見捨てることは無かった。
いよいよ次の瞬間が訪れた。右サイドから駆け上がった小笠原がアーリークロスを入れた。
すると相手GKがパンチングでクリアしたボールにぺナルティーエリア内に詰めていた福西が大黒にショートパス。
その大黒が振り向きざまに左足でシュート!!!ボールは相手ディフェンスの間をすり抜け、ゴール右隅に突き刺さった。
「ゴォ〜ル、ゴォ〜ル、ゴォ〜〜〜〜ル!!!!!」「やったぁ〜!」「だいこくさまぁ〜〜!」と叫びながら天を仰いだ。
正直言って、このまま引き分けに終わると予感した。しかし終了間際のロスタイム2分、スーパーサブ大黒は値千金の勝ち越しゴールにより日本の救世主となったのである。最終予選で勝ちあがる事の難しさ、厳しさを改めて実感させた。
私は気が付くと、嬉しさのあまり座席近くを走り回り、周辺のサポーターと抱き合い握手攻めに合っていた。
97年11月16日に体験した「ジョホールバールの歓喜」ならぬ「埼玉での奇跡」であった。「信じるものは救われる!」
とにかく日本の勝利への執着心が勝敗を左右した。大きなプレッシャーがあったにもかかわらず、決して最後まで気持ちで
負けなかった選手達とサポーター。最終予選の初戦ということを考えれば、勝ち点3と1では雲泥の差がある。
最後にこのような形で勝てたのはラッキーだし、何よりも苦労して勝ち点3を奪い
取った意味は大きく次の自信に繋がる。
全てにおいて結果だけが求められるサッカー。それ無くしてドイツへの道は開けな
い。
2−1となり、まだ決勝ゴールの余韻が冷め切らぬままタイムアップのホイッスルが吹かれ、日本代表は初戦に勝った。
北朝鮮の選手達は全員がピッチ上で倒れ込んだ。一方、日本の選手達はジーコの周辺に集まり抱擁して喜び合った。
日本代表の選手達はサポーターの前に集結し、一列に並び一礼して大声援に応えていた。
「ミツオ〜〜」「ヨシカツ〜〜」6万人近いサポーターから掛け声が上がった。
次に今夜のヒーロー「大黒オーレ〜、大黒オーレ〜」と、ひときわかん高い声援がスタジアム全体に大きくこだました。
ベンチに帰りかけていた大黒は、再びサポーターの前に戻って来て手を振って声援に応えた。
暫くしてウルトラス・ニッポンの応援団辺りから「ジンギスカン」の歌声が聞こえてきた。
「ジン・ジン・ジンギスカン、怖くはな〜んかな〜いよ、僕達が〜ついて〜いる、み〜んな〜でドイツへ行〜こう〜」
我等日本代表にとっては、本当に心強いサポーターがいるものだと常に感心させられる。
私が荷物をかたずけてスタジアムを後にしようとした時、何組かのサポーターが私のところにやって来て握手を求めて来た。
「ロスタイムに入る時、あなたの一声が無かったら負けていたかもしれません」「最後まで諦めたら駄目ですね」
「ドイツに一緒に行きましょう」「どうぞゆっくり休んで下さい」 私も握手をしながら笑顔で応えた。
「ドイツでは奇跡を起こしましょう!そして世界をあっと驚ろかせましょう!」
と・・・。
埼玉スタジアムを後にする前に、何枚か記念写真を撮っておいた。
そしてスタジアムの外に出ると「ニッポン、ニッポン!」コールが鳴り止むことは無かった。
大阪へ帰る弾丸バスが出発する駐車場まで歩いて行ったが、実に足取りが軽く感じられた。
バスに戻ると見知らぬ者同士と再び抱き合い、全員で気勢を発し勝利を祝った。
「これでようやく、胸を張って大阪に戻れる!」嬉しくなって涙が溢れてきた。
車中では全員が「報道ステーション」を見ながら余韻に浸り、応援の疲れからか早くも睡眠に陥っていた。
(終わり)