
2003年3月12日
[ダンブッラ/カンダラマ・ホテル泊]
8:30出発、3つ目の世界遺産「古代都市ポロンナルワ」を目指す。途中軍の訓練施設の中を通り、1時間くらいで到着する。
観光客はあまり見ないが、こどもの僧のグループとすれ違う。彼らも遺跡の写真を撮ったりしている。再び車に乗り、博物館のあたりに戻って、宮殿、会議場、沐浴場の跡を観る。2番目の首都であるが、アヌラーダプラの遺跡に比べ、古い感じがする。レンガ造りの建物が多いが、首都が次のキャンディに移ってからは衰退し、ジャングルに埋もれた。その為、崩れた建造物が多い。その他ひととおりの仏跡を足早に観てまわる。ランカティカは巨大な仏像で頭部が崩れてなくなっているインパクトの強い遺跡である。巡っていると、時折物売りが声をかけてくる。日本人観光客が少ないというのに、流暢な日本語。木で作ったパズルや、手品のおもちゃ、象の置物等を売っている。
13:00 ハバラナのルクマリレストランという場所で昼食をとる。メニューはカレーであるが、小皿でいろいろな種類のカレーやおかずが並べられ、韓国のキムチを彷彿させる。味は甘いものや辛いもの様々。ちょっとずつライスのまわりに取って混ぜながら食べるスリランカ風のレストランである。瓶ビールは170ルピーであった。
14:40ダンブッラに到着。山の上り口には最近作った巨大な黄金仏があり、興ざめさせられる。そこから途中足場の悪い個所もある階段を登る。
シギリヤに比べればさほどハードではない。シギリヤの1/5くらいだろうか。


寺院自体は15分ほどで十分観て、山を降り始める。途中一物をいじっている雄ザルがいて、ヨーロッパ人のグループがそれを見て爆笑していた。
16:00ダンブッラを出発し、カンダラマ・ホテルに向かう。





スリランカではどこでも、食後に必ずコーヒーか紅茶が出るのだが、普通は食事をしたその場所で出る。ここでは、食後、レストランを出たところの大きなソファーでくつろぎながらコーヒーか紅茶を飲める。オセロ等のテーブルゲームや、ビリヤードが飲み物を飲みながら楽しめ、アルコールを飲みたい人にはバーもある。ここでスリランカ版五目並べのようなゲームがあり、パーリタさんと対戦する。ちゃんとルールを説明してくれないので、完敗する。22:00部屋に戻り、眠る。
2003年3月11日
[ハバラナ/ハバラナ・ビレッジ泊]



長時間のドライブになるが苦にならない。走っている間はずっと緑の中を走っているからである。コロンボや西海岸はごちゃごちゃした街であるが、それ以外はほとんどが林道である。高度の低いところではヤシの木、ちょっと高いところではゴムの木、それ以上高いところは様々な種類の木の森が広がる。9:40クルネーガラという町を通過。突如現れた町では商店が並び、人々がごった返している。ガススタンドで給油。ガソリンの値段をパーリタさんに尋ねると、1リッターあたり60ルピーだそうだ。またすぐに林道に入る。10:50ダンブッラ。道路沿いでよく見かけるジューススタンドで休憩し、ヤシの実をわってもらってストローで果汁を飲む。
13:00 昼食を終えて出発。いよいよ1つ目の世界遺産「聖地アヌラーダプラ」観光である。アヌラーダプラは紀元前500年頃の最古の首都である。町は緑の中に広がる遺跡地区と市街がマルワツ川でわけられている。まずはアヌラーダプラのシンボルであるルワンウェリ・サーヤ・ダーガバを観る。「ダーガバ」とは、スリランカの寺院によく見られる白い半円のドームの上に塔のようなものが乗っかっている大塔である。
スリランカの寺院はどこでも入る際に、靴と帽子を脱がなければいけない。靴下は履いていてもよい。日に照り付けられ地面が熱くなっているので、靴下は履いていた方がよい。
見学後、緑地歩く。緑地にはサルが多い。
続いて車に乗り、10分ほどでスリランカで最も古い寺院・イスルムニヤ精舎。岩肌を彫るようにして造った御堂が特徴的。岩の隙間は無数のコウモリの巣になっており、驚く。本堂内の仏陀像は鮮やかな色で塗られているが、これは東京の浅草寺の援助で色を塗り替えたものである。岩の上に上るとッダーガバがあり、遠くに仏教伝来の地・ミヒンタレーのダーガバを眺めることができる。ここでスリランカに来てから初めて日本人と遭遇する。バックパッカーの若い男性が一人で来ていた。
車で10分くらいで先ほど眺めたミヒンタレーの入り口。ミヒンタレーは紀元前247年6月にインドの仏教王アショーカの息子マヒンダが狩に来ていたデーワーナンピャ・テッサ王に仏教を伝えた場所とされる聖地。山上に遺跡が点在する。仏教伝来の日である毎年6~7月のポヤ・デー(満月の日)にはポソンという祭りが行われ、何千人という信者が国中から集まるそうである。入り口から頂上を見上げ、ゆっくり滞在している時間もないのですぐに車に乗る。
16:10 シギリヤ着。ここも世界遺産。個人的には最も訪れたかった場所である。ジャングルの平原の中に現れた赤褐色の岩山。400年代後半アヌラーダプラを統治していたダートゥセーナ王の長男カーシャパは父である王を監禁し、「隠してある財産を全て出せ」と要求した。父は何もこたえず、自分が建設したカラーウェワ(貯水池)を指差し、「これが私の財産の全てだ」と言った。怒りに震えたカーシャパは父に恨みを持つ家臣に指示し、父親を殺害してしまう。貯水池は乾燥したこの地に農業を発展させた正に財産であったのだが。王になったカーシャパは弟モッガラーナの復讐を恐れて、この岩山の上に要塞を築いた。後にインドからの援軍を引き連れた弟に追い詰められ自ら短刀で喉をかき切り命を絶つ。
さらに登り続ける。このあたりまで登ると、かなり見晴らしがよい。3/4くらいのところに広場があり、ライオンの門。パーリタさんはここでへばり、「私はここで待 ってます」という。ここからが頂上までの階段がとくに急になり、足の下を見るのが怖いくらいになる。途中から変なオジサンが片言の日本語で案内してくれる。


連れてこられたのはエレファント・コリドールというリゾート。芝生の広場を囲うようにして、プライベートコテージが数件点在しているが、質素な雰囲気であ る。1ヶ月前にオープンしたばかりで、ここに来た日本人は自分が初めてだということ。

エレファント・コリドールを出るころは19:30。辺りはもうかなり暗い。車で45分ほど走り、宿泊のハバラナ・ビレッジに到着。シギリヤ・ビレッジと同じく、全室コテージタイプのリゾートである。真っ暗になっているので、施設を見ることができないので、明日にする。部屋に入ると、シギリヤ・ビレッジよりもかなり質素。TV、バスタブがないが、苦にはならない。スリランカのホテルはどこでも室内に蚊取り線香かマットがある。ここは蚊取り線香。プールに面したレストランでブッフェの夕食。種類が多い。ここでもヨーロッパ人で一杯の中ただひとり肌が黄色い。ビールを頼むとLIONというスリランカブランドの瓶ビールが出てくる。パーリタさんがいうには、THREE COINSよりこっちの方が国内ではメジャーで、おいしいとのこと。薄くて飲みやすいビールである。瓶のラベルには定価45ルピーと書いている。 22:00食事を終える。売店でシギリヤ・ロックの絵葉書を25ルピーで買い、部屋に戻って家に葉書を書いた。宛名は、生まれて5ヶ月のこども達(双子)の名前にする。シャワーを浴びて24:00疲れたので眠る。
2003年3月10日
[ニゴンボ/ブルー・オーシャニック・ホテル泊]
7:40頃伊丹にバスで着く。チェックインを済ませ、荷物預けのX線機械にスーツケースを通すと、スーツケースを開けられ、ライター2つを没収される。ライターは1人につき1つしか持ってはいけないとのこと。スーツケースの奥深くに入れているライターを探知する機械の性能に驚かされる。テロ対策の為、機内持込荷物とボディーチェックも厳しい。上着も脱いで手荷物用X線を通し、体は、一度探知機を通って警音が鳴ると、ベルトを外して再度通るよう指示される。
9:50定刻どおり成田第2の国内線到着ターミナルに到着。自身3度目の成田空港である。1度目は学生時代卒業旅行でスペインに行ったとき、2度目は混乱のフランス・ワールドカップ添乗。旅行会社に入って、ゆっくりと空港を見れる初めての機会だったので、余裕ある乗継ぎ時間を空港探検で過ごそうと決める。スリランカ航空のチェックインカウンターはE 又はF。今日はFカウンターで、入場口に「チェックイン手続き開始は10:50」との案内がでている。10:50にチェックインし、その後空港内空港内無料シャトルバスに乗って5分、第1ターミナルを見に行く。初めて見る第1ターミナルは第2とは雰囲気が全く違い、暗い館内。古きよき時代の金持ちだけが海外旅行をしていた時代を彷彿させた。バスで第2に戻る。
予定どおり13:20に離陸、まずスリランカの入国カードが配られる。スリランカの入国カードは日本では入手できない。30分して飲み物とスナックがでる。
長い長い飛行は続く。半年ぶりの海外、それに10時間超のフライトは久しぶりなので、もてあます。マーレー到着の2時間前に明るくなり、2回目のミールが出てくる。チキン・パスタ・サラダ・デザート。あまりおいしくないものであったが、8時くらい何も食べていなかったので腹が減っており、完食する。
15分ほどで最初の宿泊ホテル、ロイヤル・オーシャニックに到着する。ニゴンボという空港近くのビーチリゾートではランクの高いホテル。夜も遅く、明日からのハードな日程に備え早く寝たいので、荷物を自分で持っていくといったが、ボーイが運んでくれる。エレベータはないので階段を上る。部屋に入ってボーイがミニバー等の説明をしてくれるが、早く出ていってほしい。ボーイはモジモジしながら財布を出し、どこの国のものかわからない紙幣を出して「これは日本のマネーか」と聞いてくる。「違う、知らない」とこたえる。チップをせびっているのだ。自分の主義としては、ちょっとくらいのサービスではりチップを支払わないことにしている。日本にはその習慣がないのだから、彼らにそれをわからせなければならない。「早く出て行け、眠たいねん」とボーイを追い返す。2003年3月10日